才本設計アトリエのブログ記事
2012 07/31 18:13
京都・無鄰庵は「植治」と呼ばれた七代目小川治平衛が、明治の政治家の山縣有朋の抱いた構想をもとに1894年に形にした庭園です。今では、平安神宮神苑とともに一般公開(有料)されており四季を通じて参観することができます。私見ですが、この二庭園は夏に体験することが特...
2012 07/21 17:22
京都の町屋はうなぎの寝床で、表(道路側)から奥に順に店、小坪庭、座敷、大坪庭、蔵と続きます。 そのなかで、座敷は位置的にも、また室の格としてもこの家の中心のわけで、この家の主が腰を据える場所で、親しい客を招いたりもする場所でありましょう。 この座敷からは...
2012 06/29 16:36
先日、小雨の降るなか、京都嵯峨野の天竜寺を参観しました。 天竜寺の開山でこの庭園をつくった夢窓国師は「天開図画」つまり、「自然の景色は天がつくった図画」と呼べるような自然の景勝地や眺望が望める場所を求めて、日本の各地を巡り、寺院を開き庭園を造っています。3...
2012 06/29 16:36
先日、小雨の降るなか、京都嵯峨野の天竜寺を参観しました。 天竜寺の開山でこの庭園をつくった夢窓国師は「天開図画」つまり、「自然の景色は天がつくった図画」と呼べるような自然の景勝地や眺望が望める場所を求めて、日本の各地を巡り、寺院を開き庭園を造っています。3...
2012 06/13 19:36
その後源氏は庇に入り襖障子越しに(母屋にいる)彼女に話しかける。しかし彼女は恥ずかしくてまったく返事ができなかった。源氏はさらに懸命に話しかけるが甲斐がなく、ついに、鍵をした襖障子を押し開けて母屋に入ってしまった。そこで初めての逢瀬がかなった、というわけで...
2012 06/04 17:31
先回に引き続きまして平安時代の寝殿について、源氏物語の一場面から、この寝殿がどう使われたかを具体的にお話をしたいと思います。 さて、取り上げるのは「末摘花」のお話です。 十六夜(いざよい)の月が出ている時、源氏は末摘花を訪問します。 源氏が使いの女に言います、...
2012 05/26 18:00
先回に引き続きまして源氏物語の舞台となった寝殿はどんな空間であったのでしょうか。下記の平面図で説明いたします。寝殿の中心部分を母屋といい、寝室(塗籠 ぬりごめ)などがありプライバシーが最も強い生活空間であります。母屋を囲むように、その四方に庇という空間が...
2012 05/18 17:58
今日は平安時代の貴族が過ごした住まいについてお話します。 紫式部日記絵詞(上の写真)の絵をみますと寝殿造りの外部の様子がわかります。手前にある外部の床を簀子(すのこ)といいます。そして内外を仕切るのが格子と呼び、このように上下に分かれ、上を回転で外に開き、...
2012 05/06 16:54
翼廊の列柱は屋根を持ち上げ、壁を設けず吹き放ちの渡り廊下のようになっています。この姿が、まさに鳳凰が飛び立とうとしている姿として、鳳凰堂と呼ぶ所以でありましょう。(屋根の上に鳳凰が載っているのもその名の所以でありますが) それではなぜ翼廊を吹き放ちにした...
2012 05/06 16:54
翼廊の列柱は屋根を持ち上げ、壁を設けず吹き放ちの渡り廊下のようになっています。この姿が、まさに鳳凰が飛び立とうとしている姿として、鳳凰堂と呼ぶ所以でありましょう。(屋根の上に鳳凰が載っているのもその名の所以でありますが) それではなぜ翼廊を吹き放ちにした...